2011年11月29日火曜日

世界を変える ―Change the World―

これは俺が大好きな本「あなたが世界を変える日」からの引用である。
俺が人生に迷った時、必ず開いて生き方を確認する。

If you can't read Japanese, scroll down this page.

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リオ地球環境サミットのスピーチから


こんにちわ、セヴァン・スズキです。
エコを代表してお話します。
エコというのは、子ども環境運動(Environmental Children's Organization)の略です。
カナダの12歳から13歳の子どもたちの集まりで、今の世界を変えるために頑張っています。
あなたたち大人の皆さんにも、ぜひ生き方を変えていただくようお願いするために、自分たちで費用をためて、カナダからブラジルまで1万キロの旅をしてきました。

今日の私の話にはウラもオモテもありません。
なぜって、私が環境運動をしているのは、私自身の未来のため。
自分の未来を失うことは、選挙で負けたり、株で損したりするのとはわけが違うんですから。

私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちの為です。
そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちの為です。

太陽のもとに出るのが、私は怖い。オゾン層に穴が開いたから。
呼吸をすることさえ怖い。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。

父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。
数年前に、体中ガンで侵された魚に出会うまで。
そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。

それらは、もう永遠に戻ってはこないんです。

私の世代には、夢があります。
いくつか野生の動物たちの群れや、たくさんの鳥や蝶が舞うジャングルを見ることです。
でも、私の子どもたちの世代は、もうそんな夢をもつこともできなくなるのではないか?
あなたたちは、私ぐらいの歳の時に、そんなことを心配したことがありますか。

そんな大変なことが、ものすごい勢いで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるようなのんきな顔をしています。
まだ子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのかはっきり分かりません。
でも、あなたたち大人にも知ってほしいんです。
あなたたちも良い解決法なんて持ってないっていうことを。

オゾン層に空いた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森を甦らせるのか、あなたは知らないでしょう。

どうやって直すのか分からないものを、壊し続けるのはもうやめてください。

ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの代表でしょう。
あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でも本当は、あなたたちも誰かの母親であり、父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、おじなんです。
そしてあなたたちの誰もが、誰かの子どもなんです。

私はまだ子どもですが、ここにいる私たちみんなが同じ大きな家族の一員であることを知っています。
そうです50億人(当時)以上の人間からなる大家族。
いいえ、実は3千万種類以上の生物からなる大家族です。
国境や各国の政府がどんなに私たちを分け隔てようとしても、このことは変えようがありません。

私は子どもですが、みんながこの大家族の一員であり、一つの目標に向けて心を一つにして行動しなければならないことを知っています。
私は怒っています。
でも、自分を見失ってはいません。
私は怖い。
でも、自分の気持ちを世界中に伝えることを、私は恐れません。

私の国での無駄遣いはたいへんなものです。
買っては捨て、また買っては捨てています。
それでも物を浪費し続ける北の国々は、南の国々と富を分かち合おうとしません。
物が有り余っているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手放すのが怖いんです。

カナダの私たちは十分な食べ物と水と住まいをもつ恵まれた生活をしています。
時計、自転車、コンピューター、テレビ、私たちの持っているものを数え上げたら何日もかかることでしょう。

2日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。
ひとりの子どもが私たちにこう言いました。

「僕が金持ちだったらなぁ。もしそうなら、家のない子ども全てに、食べ物と、着るものと、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに」

家も何もないひとりの子どもが、分かち合うことを考えているというのに、全てをもっている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

これらの恵まれない子どもたちが、私と同じくらいの歳だということが、私の頭を離れません。
どこに生れついたかによって、こんなにも人生が違ってしまう。
私がリオの貧民街に住む子どものひとりだったかもしれないんです。
ソマリアの植えた子どもだったかも、中東の戦争で犠牲になるか、インドで物乞いをしていたかもしれないんです。

もし戦争の為に使われているお金を全部、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。
私はまだ子どもだけど、そのことを知っています。

学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたたち大人は私たち子どもに、世の中でどう振る舞うかを教えてくれます。
たとえば、
争いをしないこと
他人を尊重すること
散らかしたら自分で片付けること
他の生き物をむやみに傷つけないこと
分かち合うこと
そして欲張らないこと

ならばなぜ、あなたたちは、私たちにするなということをしているんですか。

なぜあなたたちが今、こうした会議に出席しているのか、どうか忘れないでください。
そしていったい誰の為にやっているのか。
それはあなたたちの子ども、つまり私たちのためです。
みなさんはこうした会議で、私たちがどんな世界に育ち、生きていくのかを決めているんです。

親たちはよく
「大丈夫。全て上手くいくよ」
といって子どもたちをなぐさめるめるものです。
あるいは
「できるだけのことはしているから」とか、「この世の終わりじゃあるまいし」とか。
しかし大人たちはもうこんななぐさめの言葉さえ使うことができなくなっているようです。

お聞きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

父はいつも私に不言実行、つまり何を言うかでなく、何をするかでその人の値打ちが決まる、と言います。
しかしあなたたち大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。

あなたたちはいつも、私たちを愛していると言います。
しかし、言わせて下さい。

もしその言葉がほんとうなら、どうか、ほんとうだということを行動で示して下さい。

最後まで私の話を聞いてくださってありがとうございました。


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2011年11月23日水曜日

考え方を変える

あなたの前に4枚のカードが並べられている。
片面には数字が、もう片面にはアルファベットが書かれている。
「E」 「4」 「3」 「J」

最小枚数のカードをめくって、「カードの片面に母音が書かれている場合、そのカードのもう片面には奇数の数字が書かれている」というルールが正しいかどうかを確かめるには、どのカードをめくるのがいいか。

ちょっと考えてみてほしい。



その間に、この時期にぴったりの1枚をご紹介。
↓ええわぁ、コレ。

LUPIN THE THIRD JAZZ CHRISTMAS


  LUPIN the THIRD JAZZ “Christmas” - 大野雄二トリオ
LUPIN the THIRD JAZZ “Christmas” - 大野雄二トリオ &フレンズ


問題の続き。

「E」と「3」のカードと答えたあなた。
このような考えから、この2つを選んだと思う。
もしEのカードの裏側に奇数が書かれ、3のカードの裏側に母音が書かれていれば、どちらもルールが正しいことの証拠になる。
確かにその通りだが、証拠となる例がふたつあるだけでは、ルールの正しさは証明できない。

Eのカードをめくることは、ルールの誤りを示しうるので、役に立つ。
もしEの裏に偶数が書かれていれば、ルールは誤りだったということになる。
Jのカードは役に立たない。裏に何が書かれていてもルールの成否には関係しないからだ。
3のカードは、もしその裏に母音が書かれていれば、ルールの正しさのひとつの証拠となるが、ルールが間違いであることの証明にはならない。もしうらに子音が記されていたら、ルールとは関係のない組み合わせなので、何の証拠にもならないからだ。

上記の理由から「E」と「4」のカードをめくる、が正解となる。
もし、4の裏に母音が書かれていれば、ルールの誤りを証明できるからだ。

注目したいのは、証拠となる例がいくらあっても、ルールの正しさは証明できないが、反証となるひとつの例によってルールの間違いは証明できる、という点だ。

私たちは人生の様々な局面で、仮説を立て、状況を理解しようとする。
そして、一旦何らかの納得できる説明が得られると、執拗にそれにこだわる。
その正しさを示す証拠を見つけようとし、その反対の証拠からは目を逸らそうとする。

「人間の知能はひとたびある意見を持つと、それと一致し、その正しさを記してくれるあらゆるものを集めようとする。そしてその意見とは合わないもっと多くの、もっと重要な例が見つかったとしても、それは無視されるか、軽視されるか、あるいは何らかの区分によって脇へやられるか、否定されるかする」 ーフランシス・ベーコン

何故私たちはなかなか自分の考えを変えられないのか。

心理学者スチュアート・サザーランドによれば、5つの原因があるという。
①自分の考えを覆されるかもしれない証拠には、私たちは自らは決して向き合おうとしない。
②そういう証拠を突きつけられても、多くの場合、それを信じることを拒む。
③何らかの考えをもっていると、その考えに合うようにものごとを解釈するので、新しい証拠をありのままには受け入れられない。
④私たちは自分の考えと調和することを選択的に記憶する。
⑤私たちは自尊心を守ろうとする。


どうしたら反対のことを考えられるのか。

一旦自分の考えを脇において、「もし~だったら、どうなるのか」と考えてみればよい。


自分がいつも集中の考え方をしているのを分かった今、拡散の思考も取り入れて、しっかりと自分の頭で考えて前に進んでいかねば、なかなか成長しないだろう。


↓参考

2011年11月10日木曜日

日課

いつもは全くと言っていいほど意識をしていないが、ほぼ毎日やっていることがある。
それに今日、気づいた。

どうやら俺は、仕事の帰りに空を見ているようだ。
それも奈良、地元に帰ってきてからだ。

今宵は面白い夜空だった。
ふと空を見上げると、眩いばかりの月が輝き、その傍らにこれまた月に負けるとも劣らない煌煌とした輝きを放つ星が一つ寄り添っていた。
その二つの天体を囲むようにうっすらとリングが見えるではないか。

とうとう俺の目もここまで来たか。
そう思うほど幻想的で、何時間でも見ていたくなるような、ややもすれば空にまで昇りたくなるような、そんな夜空だった。

そして気づいた。
俺は毎日、夜空を見ている。

特に寒くなってくると星が綺麗なもんで、夏よりも少し長く見てしまう。
寒いのは大の苦手なのに。

まだ週の真ん中なのに、週末みたいな気分になった。

関係ないけどムームードメインで11/15まで値下げキャンペーンやってるようだ。

さて、仕事して寝よう。